メモ:ティーチング・スタイルについて

「(中略)ということは,先生はどんな教え方をしていても,それによって自分が教えたいことが子どもたちに表現できていれば,あるいはそうしようとする姿さえ子どもたちに示せていれば,それで十分なのではないかと私は考えています。先生の素質にも遺伝的な個人差があり,得意な分野,得意な指導法は人それぞれです。ですから先生自身が,自らの遺伝的素質が生み出す内的感覚に導かれながら,自分が先生として,よりよいと感じる教授スタイルを,経験とともに模索し続けています。そこに人並みの誠実ささえあれば,教え方の違いは,生徒に大した差は生み出さないでしょう。もちろん先生の教え方のうまい下手は歴然とあり,少なくとも教えた直後には生徒の成績の差となってはっきり表れます。しかし時間と共に,その差は生徒の遺伝的素質の差と家庭の学習環境の差の陰に隠れてゆきます。生徒に残るのはその先生から学んだ知識の差ではなく,いい先生だったな,嫌いな先生だったなという思い出でだけです。いや,それすらほとんど忘れ去られていくでしょう。それでいいのです。とにかく学ぶ機会をきちんと与えられたということが,学校教育の最も大事なところなのです」(安藤,2022, p. 117-118)。

引用: 安藤寿康(2022)「生まれが9割の世界をどう生きるか」SB新書