個人をエンパワーするとは

自分に合った生き方をする,つまりその人らしく生きるとはどういうことか。コミュニティ心理学では,自分自身が持つ力,つまりその人の能力(abilities)やスキル(skills)を継続的に発達・向上させ,社会に貢献していくこと,すなわち自らが“エンパワー”された状況を自分らしく生きることと捉えている。

エンパワメントは,古典的には,米国のコミュニティ心理学者ラパポートによって「個人・組織・コミュニティが自らの問題をコントロールするプロセスやメカニズム」[1]と定義されている。エンパワメントは,一見すると,「行動の科学(scientific study of behavior)」である心理学諸領域で扱う概念とはおおよそ趣を異にしている。その対象は,個人レベルからコミュニティレベルまで幅広く,かつ認知・知覚・感情といった心理学が主に扱う要素は全く入っていないからである。実際のところ,エンパワメントは“力(power)”の再分配という意味で,むしろ“政治(学)的(political)”な概念である。

それでは,このエンパワメントをどのように心理学的に捉えるのか。その鍵となる視点が,いかに個人をエンパワーするかである。エンパワメント概念の前提として“他者が人をエンパワーすることは出来ない(you can’t empower someone)”という点がある。

援助(helping)という形で困難を抱えた人に手を差しのべることと,個人の能力やスキルを活用しその人らしい生き方を“黒子として支える”こと[2],つまりエンパワーすることとは,主旨や方法が異なる。エンパワメントは,例えて言うなら,魚が獲れずに困っている村の人々に対して単に魚を与えるのではなく,自分たちで魚を獲ることが出来るように魚の釣り方を教えることである。あるいは,馬を水辺に連れていくことは出来ても,水を飲ませることはできない[3]と言われるが,これは,本当に必要とされていること(水を飲むこと)が他者の援助だけでは叶わないこともあることを意味している[4]。つまり,個人はその人自身でしかエンパワーされないという訳である。

したがって,“個人をエンパワーする(エンパワメントする)”という行為・行動は,本小見出しからすると逆説的ではあるが,そもそも存在しないことになる。援助とエンパワメントとの違いは些細なように思えるが,コミュニティ心理学では,客体(援助者)からの視点(援助)ではなく,主体(困難を抱えた個人・利用者)からの視点(エンパワメント)に実践研究の価値が置かれている。

以上を総合的に捉えると,心理学の視点から捉えたエンパワメントは「自らの内なる力に自ら気づいてそれを引き出していくということ,その力が個人・グループ・コミュニティの3層で展開していくこと」と言え,それを端的に捉えると「能力の顕在化・活用・社会化」であると理解できる[5]。個々人の能力やスキルの“顕在化・活用・社会化”に鑑みたエンパワメント概念に基づく実践研究は,生き方(ライフキャリア)が多様化するなかで,今後ますます重要なテーマになると言える。

 

[1] Rappaport, J. (1987) Terms of empowerment/exemplars of prevention: Toward a theory for community psychology. American Journal of Community Psychology, 15, 121-144.

[2] 山本和郎(1986) コミュニティ心理学:地域臨床の理論と実践 東京大学出版会

[3] You can lead a horse to water but you can’t make it drink.  テレビ東京 孤独のグルメ(Season 1. 第6話 中野区 鷺宮のロースにんにく焼き) 2012年2月8日OA.

[4] もちろん,援助することはエンパワーすることの前提・前段階として必要なことである。

[5] 三島一郎(2001, p. 164) 精神障害回復者クラブ:エンパワーメントの展開.  山本和郎(編) 「臨床心理学助の展開:コミュニティ心理学の実践と今日的課題」培風館

安田節之(2016,出版予定) コミュニティ心理学の独自性とは 日本コミュニティ心理学会 研究委員会 編 「コミュニティ心理学:実践研究からのアプローチ(ワードマップ)」 新曜社